一度日本の野外で絶滅したコウノトリ。その最後の生息地だった豊岡では、コウノトリを再び日本の空へかえすための取組みが行われてきました。
半世紀以上にわたるコウノトリ野生復帰の取組みの歴史を紹介します。
かつて、コウノトリは日本のあちこちで生息していました。
「ジル田」と呼ばれる湿田や年中水がある土水路、川の浅瀬など、円山川・豊岡盆地を中心に水辺の生きものを育む湿地環境が広がる豊岡にも多くのコウノトリが暮らしていました。
しかし、第2次世界大戦中に巣をつくるための松は伐採され、戦後の経済性・効率性を重視する社会構造の変化の中、さまざまな開発によって湿田や湿地環境も減り続けました。さらに農薬の大量使用なども重なり、1971 (昭和46)年に日本の空からコウノトリは絶滅しました。
絶滅に先立つ1965(昭和40)年、野外のコウノトリを保護して人工飼育が始まりました。しかし、繁殖は失敗の連続。1985(昭和60)年にロシアから6羽のコウノトリを譲り受けたことで転機が訪れます。1989(平成元)年、飼育開始から25年目の春に、ようやく待望のヒナが誕生しました。飼育下での繁殖が順調に進み100羽を超えるころ、野生復帰計画がはじまります。
コウノトリは人里で暮らす鳥です。コウノトリが自然界で生息していくためには、人々の暮らしの中に、彼らを受け入れる豊かな環境(自然環境と文化環境)が再生されていなければなりません。農業、教育、観光などさまざまな分野での取組みを積み重ねながら、2005(平成17)年、野生復帰に向けて初の放鳥が行われました。
2007(平成19)年には、43年ぶりに野外でヒナが誕生し、46年ぶりに巣立ちました。放鳥と自然下での繁殖により、2017(平成29)年に野外のコウノトリは100羽を超えました。その後も2020(令和2)年に200羽、2022(令和4)年に300羽を突破し、順調に数を増やしています。
コウノトリは、エサとなる生きものがたくさんいる場所でなければ暮らせません。また、ヒナを育てることもできません。
地域に、水でつながる豊かな自然があり、そこに「田んぼ」に代表される人間の営みが絡み、たくさんの生きものが存在し、全体の中の一部としてコウノトリも暮らしている。地域まるごとが「無事」な状態こそが、コウノトリの本来の居場所です。
コウノトリ“も”住める豊岡のまちづくりについては、「現在の取組み」をご覧ください。