豊岡は、コウノトリ野生復帰の取組みが始まる遥か昔からコウノトリにゆかりがあります。
市内にはコウノトリにまつわる神社や温泉があるのはもちろん、コウノトリに関係する地名や、校歌の歌詞にまでコウノトリが登場するなど、市民の生活や文化に溶け込んでいます。
コウノトリにまつわる場所
久々比(くくひ)神社
日本で唯一、コウノトリにゆかりがある神社。本殿は室町末期の建造と推定され、国の重要文化財に指定されています。祭神は木の神、久久遅命(くくちのみこと)ですが、日本書紀には天湯河板挙命(あめのゆかわのたなのみこと)のコウノトリ伝説が始まりとされています。
<コウノトリ伝説>
垂仁天皇の御宇23年冬10月朔日(ついたち)、成人しても言葉を発することのなかった誉津別命(ほむつわけのみこと)皇子が、鳴き渡る鵠(ククイ)を見て初めて言葉を発したのを喜ばれ、ククイを捕らえよとの命を出された。
臣下の天湯河板挙命が鳥を追い、とうとうこれを出雲国もしくは但馬国で捕らえて献上した。人々はククイを霊鳥と崇め、その住処を久久比と呼び、その地に宮を建てた
垂仁天皇の御宇23年冬10月朔日(ついたち)、成人しても言葉を発することのなかった誉津別命(ほむつわけのみこと)皇子が、鳴き渡る鵠(ククイ)を見て初めて言葉を発したのを喜ばれ、ククイを捕らえよとの命を出された。
臣下の天湯河板挙命が鳥を追い、とうとうこれを出雲国もしくは但馬国で捕らえて献上した。人々はククイを霊鳥と崇め、その住処を久久比と呼び、その地に宮を建てた
鴻の湯(こうのゆ)
城崎温泉にある七つの外湯の一つ。1,400年前、コウノトリが足の傷を癒したことから発見されたとされる伝説があります。
出石鶴山
明治時代後半に、出石鶴山の周辺でしか、コウノトリは見られなくなりました。日露戦争で勝利した年に、コウノトリのヒナがかえったことで、幸運の証として人々は喜び、全国からコウノトリを見物にやってきました。当時茶屋があった場所は、出石川と周辺に広がる田んぼを望む展望台となっています。
地名/田鶴野、下鶴井
「田鶴」とはコウノトリのことで、後にこの地にコウノトリが営巣したり、保護増殖センターが設けられることを予見したとも思われる地名です。「鶴井」は「鶴居」であったかもしれないと考えられています。
コウノトリをモチーフにした場所・もの
JR豊岡駅
豊岡市の中心駅で、JR西日本の山陰本線と京都丹後鉄道の宮津線が乗り入れる接続駅です。
2011(平成23)年2月にコウノトリをイメージした新駅舎が完成しました。
特急こうのとり(JR)
新大阪駅から城崎温泉駅を結ぶ特急列車です。但馬エリアのシンボルとして親しまれているコウノトリにちなみ、2011(平成23)年3月に列車名を「北近畿」から「こうのとり」に改称されました。
コウノトリ但馬空港
1994(平成6)年に、日本初の「コミューター専用空港」として開港した但馬飛行場は、「コウノトリ但馬空港」の愛称で呼ばれています。
消火栓蓋、仕切弁蓋、歩道タイルなど
コウノトリをデザインしたモニュメントや消火栓蓋など、さまざまな場所に市の鳥「コウノトリ」がデザインされています。
ぜひ、豊岡のまちを観光しながら探してみてください。