今回は、「コウノトリにまつわる話–その2-」として、1950年代に小坂地区でコウノトリが松の上に繁殖していた風景の復活を目指す活動をご紹介します。
豊岡では、2005年にコウノトリの試験放鳥が開始され、2007年までに21羽が放鳥されました。
また、2007年に百合地人工巣塔で初めてふ化・巣立ちに成功するなどコウノトリの個体数が徐々に増え、2007年には身近な存在になりつつありました。

「出石町城下町を活かす会」の環境部会長の瀬尾さん(当時)は、1940年代まで小坂地区の森井山にコウノトリが松の木に繁殖していたことを地域のお年寄りから聞き、“当時の風景を復活させたい”との思いから、2007年から「コウノトリの生息環境を守る森づくり」を目指し、「出石町城下町を活かす会」が中心となり、地元区(大谷、鳥居)、民間会社、但馬県民局、豊岡市と協力して活動をはじめられました。
活動内容は、コウノトリが営巣木として使える松林の復活を目指し、残っている松の生育に支障となる樹木の伐採や腐葉土の除去、遊歩道の整備、そして、松枯れに強い「兵庫元気松」の植樹です。

直ぐに営巣木として使える松を選定し周辺整備をしましたが枯れてしまい、2009年に人工巣塔を立てられました。
松の植樹事業は、地元の小坂小学校も参加して行われ、子供たちが書いた看板が立てられました。

コウノトリ営巣林の復活事業は、他でも行われている事例はありますが、現在も継続しているのは、小坂の植樹事業だけです。
植樹した松が営巣木として活用できるまでに30年ほどかかるとても息の長い壮大な取り組みです。この活動の中心で頑張られている瀬尾さんに、これまで継続されてきた活動の原動力などについて聞きました。
「地元の長老から森井山に営巣していたコウノトリの話を聞き、自然木での営巣を復活させたいと思い活動をはじめました。多くの人が共感し協力し合う活動となって、ここまで継続することができました。植樹では、小坂小学校の子供たちも参加しています。参加している子供たちが大人になったとき、森井山で自分たちが植えた松にコウノトリが営巣している風景をみて、子供の頃の活動に思いを馳せ、地元への愛着につながれば良いと考えています。ただ、私も80歳となり体力的にこの活動を牽引することが難しくなっています。今後この活動を継続するためには、地域の活動として引き継いでほしいと考えています」とお話しされていました。

瀬尾さんのお話を聞き、小坂地区コミュニティ「夢コミュニティ小坂」会長の井﨑さんを訪ねました。
「小坂小学校の校歌に“田鶴(コウノトリ)はぐくむ 森井山 羽ばたくつばさ はゆる(はえる)姿を そのままに”の歌詞があります。恐らく1940年代に作られた校歌で、その当時コウノトリがいたのだと思います。森井山でコウノトリが営巣していた小坂の原風景を取り戻すために、小坂区長会、小坂小学校、夢コミュニティ小坂、そして瀬尾さんと協同して事業を継続したいと考えます」と話されていました。

瀬尾さんに案内していただき、2007年から植樹されている森井山に登ってきました。
松は、15年以上経過して、幹回りが12cmに成長している松もありました。
毎年10本を植樹され、これまでに200本ほど植樹し、今後も継続していきたいとのことです。
数百本植樹して、その内1本がコウノトリの営巣木となれば良いとのことでした。

最後にこの取り組みに共感し参加されている地元で環境創造型農業や農業支援の活動(Toyooka AgRestart | Facebook)をされている家元さんにお話を聞きました。
「私は、1978年に小坂地区に生まれました。私の世代は、すでにコウノトリが絶滅し、野外で見ることはありませんでした。2005年に放鳥が開始されて以降、コウノトリを自然の中で見かけるようになり大変感動しました。現在、小坂地区の水上人工巣塔(2019年から繁殖で使われている)の周辺の田んぼで、コウノトリのエサとなる多くの生きものを育む「コウノトリ育む農法」でお米作りをしています。子供の頃から田んぼがあそび場で、土のかおりをかぐと昔を思い出します。地元でコウノトリの営巣復活の活動でボランティアを募っていることを知り、地元住民としてこの活動を未来につなげる一助になればと思い参加しています。」

家元さんは、3月に豊岡市役所を退職されました。
これまでの仕事を通して、地域の自然や農業の課題を知り、里山の自然を次世代へつないでいくためには、農業が重要と考え辞められたとのことです。
私も小坂地区の住民として協力できることがあれば参加したいと思います。